陽極まり、生きとし生けるものが楽しくダンスはじめる夏至のころ「FESTIVAL FRUEZINHO 2022(フェスティバル・フルージーニョ・2022)」を開催します。久しぶりの東京、名古屋、大阪をめぐるツアーです。各地の皆さま、会場でお会いしましょう!
「FRUE(フルー)」の意味は、勢いが盛んになる〈振るう〉、気力を充実させる〈奮う〉、能力を発揮する〈揮う〉、ふるいにかけてより分ける〈篩う〉、ふるえる〈震う〉です。FRUEでの体験はもとより、その響きが、われわれの潜在意識下にある〈ふるう〉イメージを刺激し、そのイメージを日常へ浮かび上がらせることができないものかと名をつけました。また、「ZINHO(ジーニョ)」は、ポルトガル語で「小さい」「かわいらしい」を表現するときに使う接尾語です。
2020年にオープンした立川ステージガーデンは、天井が高く、まるで屋外のような開放感のある2500~3000人収容の大型ホールです。1階はオールスタンディング、2階は全自由席を予定しています。2階席後方の壁は開けることができ、FESTIVAL de FRUEの会場「つま恋リゾート彩の郷」のThe HALLのような屋内外が一体になるユニークな構造です。
・本公演は「ライブハウス・ライブホールにおける新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」に基づいた対策を講じ、お客様、出演者、スタッフの安全に最大限配慮した上で実施いたします。
・中学生以下は無料ですが、必ず保護者とご来場ください。
・高校生以上はチケット要購入。
・チケットがお手元に届きましたら、公演日まで保管には十分にお気をつけください。 当日チケットをお忘れになった場合は当日券を再度購入していただきます。
・チケットは金券です。紛失されたり、盗難にあったりした場合など、いかなる場合においても再発行はしません。再購入してください。
・お客様がチケットを購入した証明(発券証明、領収書、併せて購入したチケット等)をお持ちでも、再発行はできません。
・客席を含む会場内の映像・写真が公開されることがありますので予めご了承ください。
・アーティスト出演キャンセルが発生した場合、払い戻しはありません。
・会場内外での事故・紛失・盗難・ケガ・病気等の責任は、一切負いません。
・花火などの火器、その他の危険物、及び法律で禁じられている物の持ち込みをお断りします。
・公演中の録音・撮影は基本的に禁止です。
・食べ物、アルコール類、飲食物の持込は禁止です。近隣の飲食店をご利用ください。
・不正入場が発覚した場合、理由の如何にかかわらず身柄を警察に引き渡します。
・偽造チケットの使用、不正入場が発覚した場合、直ちに身柄を警察署に引き渡し、損害賠償を請求します。
・スタッフの指示に従わない場合は直ちに退場していただきます。その際、料金の払い戻しはありません。
・近隣の住民の迷惑になる行為は絶対に止めてください。
・熱中症・脱水症状などの対策、健康管理には各自の責任で十分にご注意ください。
・駐車場はありません。公共機関もしくは近隣の駐車場をご利用ください。
・当日、エントランスにてチケットとリストバンドを交換ください。
・リストバンド引換後はリストバンドがお客様の購入証明となります。開催期間中は大切に取り扱ってください。
・リストバンドの紛失については、いかなる場合でも再発行致しません。
・入場時につけるリストバンドは絶対にはずさないでください。
・会場内でリストバンドチェックを行なっておりますので、ご協力ください。リストバンドが無い場合は、当日券をご購入いただきます。
cOMMENTS
三條亜也子
FRUEで遊ぶとき
ときどきすごく無防備になれる
音楽に触れながら、音楽に触れられて周りの人の表情をみて美味しいものを食べて
ほろりと泣きそうになる
音楽が好きで本当によかったって思う
怪しくて仄か、だけど時々眩くて爽やか暗闇と煌めく塵、月夜の丘を歩くジャジューカの縦列
輪郭も名前も無いいくつもの感覚がゆっくり連なっては、
時々ジュッっと脳裏に焼きついていく跡が残り、そのあと続いていく日々のはざまで呼吸するように
チラチラと発光したりする
特別な時間が人生の中にある喜びを、FRUEはいつも感じさせてくれます
今度はどんな感覚に出会えるのかな
いつも、ありがとう
三條亜也子 WWW
岡村詩野
ある種のユルさと気の置けなさとマイペース。一度でも足を運んだことがある人なら、それが『FESTIVAL de FRUE』および『FESTIVAL FRUEZINHO』の魅力の一つであることを肌で感じたのではないかと思う。フェスティヴァル=祝祭、喜び、楽しさ……と言いつつ、ともすれば様々な縛りやルール、またはノリや雰囲気でがんじがらめになる傾向にもある昨今の音楽フェスだけど、毎年秋開催の『FESTIVAL de FRUE』と夏開催の『FESTIVAL FRUEZINHO』は、その場の雰囲気がとても柔らかく過ごしやすい。例えば、昨年7月の『FESTIVAL FRUEZINHO』、私は東京・立川の会場に足を運んだが、一人でフラっと遊びにきている人がとても多い印象を受けた。しかも、そういう人に限って決して所在なさげにすることもなく、屋外と地続きになっている二階の後方で演奏を耳にしながら文庫本を開いたり、ボーっとしていたりと自分で自分の過ごし方を堪能している。家の中でリラックスしてレコードを聴いたり映像を観たりしている時のような感覚で、サム・ゲンデル&サム・ウィルクスやブルーノ・ペルナーダス、坂本慎太郎やceroの生演奏を楽しめるなんて……そりゃあ、贅沢、最高だよね、と、参加者の一人として私も同じように後方でビールを飲みながら眺めていた。
一般知名度に頼らず一定の指向性を貫いたラインナップで開催を継続させているのには頭が上がらない。これは昨年秋に開催された『FESTIVAL de FRUE 2023』のライヴ評としてある雑誌に私が寄稿した文章の冒頭部分だ。もちろん、そのためにほぼ年中気が抜けない運営サイドの努力があってこそだろう。今年のラインナップではまだ観たことのないバーラ・デゼージョに大注目している。お馴染みサム・ゲンデルもベニー・ボックとハンス・チョースタとの新しいトリオでやってくる。でも、ガチガチになってそのパフォーマンスにしがみつこうとは思っていない。今日のこの瞬間の自分の時間の中に、彼らの演奏が緩やかに入り込んできてくれたら……。今年もそんな楽しみ方ができると信じている。
岡村詩野(http://TURNtokyo.com)
haru
11月なのに昼間は眩しすぎるくらい太陽が照っていて、半袖に靴を脱ぎ捨て、指を丸めて芝生の感触を確かめる。
少しだけ息をきらしながらホールステージにたどり着く。目の前に広がる屋台達は食べることは生きることって言われてるような。胃袋を取り替えさせてほしいといつも思う。だってお腹いっぱいが罪なほど食べたいものに溢れてる。
乳酸のたまりかけた足をちょっと休めて、ワインとごはんを交互にステージを眺める。
もう耳も目も口も準備完了。
薄暗いホールステージは何個もの顔をもっていて、昼間は大きな窓から降り注ぐ光が演者を照らす。ドレープの入った布が風でやさしく踊り出すようにゆれる。ふっと上を見ると建物と建物の隙間から月が覗いてる。
夜は暗くて怪しくて時間が溶けていく。
わたしは毎年やっぱりきている。頭からつま先、身体中の五感すべてを使いにここにきてすべてを受け取りにきている。
終わったあとなんだか言葉にならないすごいものが体の中を駆け巡っている。
すべて身体が覚えてる。
静岡のあの場所から222km東京の立川で去年真夏日のあの日からひょこっとまた一つ生まれた。
どことなくいくつもの表情を見せてくれるホールを思い出させる。
ちっちゃいとかって言ってるけど、中身は全然小さくなくて、濃くて深くて尊い。
今年はどんな音の色を並べるんだろう。
このうねりの中にただ身を任せて。
haru
SHIMAI VINTAGE
松橋美晴
「ちょっとトン・ゼーの連絡先知らない?」
いつもこうだ。
「静岡で音楽フェスやるんだけどどっかおいしいゴハン屋さん知らない?」→生まれてこのかたフェスに行ったこともない私に出店管理を丸投げ
「エルメートって好き?」→アーティストのアテンドなどやったこともない私がエルメートバンドの全国ツアーで24時間体制のアテンドに
「ヤマンドゥの楽屋に日本酒持ってって」→楽屋のドアに手をかけた瞬間 "今からヤマンドゥとビリーのセッションやりたいから10分で説得して" と呟かれ、おのれ正気か!?
結果思い切り不機嫌になるヤマンドゥダッシュでホテルまで戻りスーツケースをひっくり返しヤマンドゥを怒らせた恐怖で泣きながら彼のタバコを探す、携帯潰す(中略)地獄絵図から、まさかの逆転セッション
「ちょっとトン・ゼーの連絡先知らない?」→アマゾン出張中に会う会う人に連絡先を聞きまくっていたら船の上で某ピアニストがオレ知ってると(中略)帰国前日にトン・ゼー宅へ滑り込む
お金もないFRUEに奇跡なんぞ降ってくるはずなどなく、誰かが裏で命を削っている
Amaro Freitas、Bala Desejo、Sam Gendel, Benny Bock & Hans Kjorstadのdream trio、Lang Lee、Ichiko Aoba、Manami Kakudo & Baku Furukawa
見てコレ、これね、今回の出演者一覧恐ろしくて私は震えてるこれから起こる無茶振り千本ノックをひたすらに打ち返しながらジャンプしたとしても絶対に届かない奇跡をもぎ取らなきゃいけない
マニアックなブッキング?
音楽体験の真髄?
いやいや、舞台の裏で雄叫びあげながら白眼むいてる私たちこそがFRUE!
松橋美晴(ブラジル料理研究家)
大西 穣
少し個人的な話をしたい。
大学の夏休みを利用して、NYダウンタウンのtonicという伝説的なライブハウスに通い詰めたことがあった。通い詰めたと言っても、年齢制限のため、そこにしか行けなかったというのが実情だった。
ともかく、2007年に閉店となってしまったヴェニューには、有名人も、無名の若手も、アーティストも客も気軽に出会い、話し合える場だった。オノ・ヨーコ、アート・リンゼー、フレッド・フリス、ヴィンセント・ギャロから、ジョン・メデスキ、チャーリー・ハンターetc。小さなスペースになんでこんなところに有名人がいるのだろう、と当時の自分は不思議だった。
ここで育てられた、というアーティストは多い。いまだに語り草になっているのは、単なる興行の場ではなく、ハブとしての機能があったからだろう。
そこにしかないクリエイティヴな刺激や出会いがあった。それが生態系のように広がっていく感覚。 Frueからは、たまに昔のtonicのことを思い出すことがある。世代も結構バラバラ、若手もビッグネームも出演しているし、音楽は多層的。もちろん、Frueはフェスだから違いはある。ただ、普通のロックフェスにない南米音楽への眼差しや、DJカルチャーへの眼差しには、(tonicには地下にクラブがあった)近いものを感じる。
そして、風通しの良さがある。
何より、Frueは現在進行形だ。
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Frueには何度か行き、印象的なパフォーマンスがたくさんあった。個々のアーティストのパフォーマンスの優劣は全く絞れないけれど、主催者側のサポートで関心したとはっきりと言えるのは、PAや照明を別とすると、2019年のトン・ゼーだ。
83歳でまさかの初来日を果たした彼のステージ。そこには、ポルトガル語の歌詞対訳がスクリーン投影されていたのだ。
日本からは地球で一番遠い国ブラジルのアーティストの招聘。演劇や詩などの領域から深く影響を受けたトロピカリズモのアーティストである彼は、言葉なしには理解できない。今まで音だけでわかった気になっていたアーティストの、そのヤバさが感覚的にビビッと伝わってきた瞬間だった。
これをソロ公演でなく、フェスでやってしまうFrue。
今回のFESTIVAL FRUEZINHO 2023は、初の立川にお邪魔できれば、と考えています。
大西 穣(批評家/翻訳家)
西崎龍彦
<FESTIVAL de FRUE>を知ったのは、大好きなカレー屋さんに貼ってあったポスターで。「え!?サム・ゲンデル?アマーロ・フレイタス?日本に来るの!?嘘でしょ?」というのが第一印象。はい、正直まだ一度も足を運んだことはありません。
“魂の震える音楽体験” なんて素敵なコンセプトなんだ。調べると2012年からクラブイベントとしてスタート、その後2017年からはフェス形態に、とある。過去のラインナップを拝見し、これまで足を運ばなかったことを後悔しつつも、今年からは絶対に毎年参加しよう!そう心に決めました。これだけの内容のフェスが日本で行われていること、本当に誇らしいです。
さあDon’t think!Feel FRUE!
西崎龍彦(SOPH. co.,ltd. ゼネラルマネージャー)
深町健二郎
ピノ・パラディーノやサム・ゲンデルを、まさか姪浜で観ることができようとは!私にとって昨年最大のサプライズだったかもしれない。あらゆる要素が混沌と混ざり合い、多様な客席込みの音楽熱を久しぶりに体感できたのだから。
決して容易ではない"場を作る"人々の存在は、だからこそ尊い。気になっていたら、坂本慎太郎の現場で割りとすぐに出会えた。その日もすべて嬉しく感じた。そしてまた新たな"音楽熱"がもうすぐやって来る!!
深町健二郎
松永良平
〈FRUEZINHO〉およびその母体フェスである〈FESTIVAL de FRUE〉で好きなところのひとつは、演奏の制限時間を明確に定めてないこと。タイムテーブルにそれぞれのアクトのスタート時間は書いてあるが、終わりの線は引いてない。もちろん次のアクトの準備は必要だからいつまでもやりっぱなしとはいかないのだが、「必ずここまでで終了でお願いします」という約束は存在しない。しかも、その設定はなりゆきでそうなったのではなく意図的だった。すべての制限を取っ払う!というほど拳をぶちあげてるわけではない。終わりを曖昧にしておくことは、そもそも音楽表現への最大限の敬意だ。そして、その余白によって休憩時間は退屈なブランクにならず、はみ出した祝祭の余韻で連結される。じつのところ、それは演奏者と観客との間にある線引きをも変え、都合がいいとか手間を省くとかいう判断を無効化し、新しい価値を生み出してゆく壮大な実験ではないのかとすら思う。
去年の〈FRUEZINHO〉では、大阪ユニバースでのブルーノ・ペルナーダスが最高だった。あの日の場内で誰かいるはずのない場所まで人がいて踊っていた気がした(幻だったかもしれない)。その音楽が静であれ動であれ、すでにあの名付けようのなかった高揚感は、「FRUEっぽい」という形容詞としてぼくのなかに定着しつつある。
松永良平(リズム&ペンシル)
鈴木慶一
FESTIVAL de FRUE 2022に呼んでいただき 大変に感謝しております。 しかも、つま恋ではMarginal Town Screamersデビューライヴでした。
インプロヴィゼーション・バンドでフェスに登場は、生涯2度目、とても 通い慣れた(主に休暇ですが)場所で演奏するのは格別でした。 その後、moonridersはインプロヴィゼーション・バンドと化してアルバムを 今年1枚出しました。今後2枚目もあるでしょう。
このフェスは、今最も注目しているフェスです。ジャジューカの時は行けず、 悔やんでおりますが、そのようなフェスに出演出来てとても光栄です。 出演者を観るのも、とても刺激大でした。
鈴木慶一 Marginal Town Screamers
松永誠剛
FRUEという現代の祭りのオーガナイザー達は、音楽への純粋な愛に溢れている。 時として、それは僕らが見失ってしまったりしているもの、でもあるのかもしれない。 新たな“夏祭り”が日本を練り歩き、 土地と土地、人と人をつないでいく、音楽の喜びとともに。
松永誠剛(コントラバス奏者/SHIKIORI代表/プロデューサー)
藤井 大輔
FRUEは奇跡的な瞬間が生まれる場としての力が、自然な形で満ち満ちている。それがコップの水の表面張力のように、緊張感をはらんだ穏やかさでデザインされていて、ある瞬間をきっかけにそのエネルギーが繊細な形で溢れてくる美しい光景を、FRUEでは見ることができる。
私は映像制作をしていて、FRUEではライブ映像をつくらせてもらっている。映像の仕事における私のモチベーションは、「語り継ぐべき出来事を映像の記録として残す」という点にある。
FRUEでは、その場所、その瞬間でしか起こり得ないような事件性に満ちたステージを数多く目撃することができる。
私はそのようなステージを見逃せないし、これからも記録として残していきたい。
そして、多くの人々にFRUEのスリリングなライブ体験に参加してもらいたいとおもう。
映像ディレクター 藤井 大輔
ケペル木村
今回のFESTIVAL FRUEZINHO 2023にてケペルの推しは、ずばりアマロ・フレイタス!
はじめて彼のアルバムを聴いたのはもう4年ほど前のことだろうか、ピアノの音がスピーカーから出た瞬間、一気に魂を持っていかれた!
この強固な音の塊は何だ!? そしてブラジルのアーチストからは聞こえてこない変拍子に思わず息が詰まりそうになった!
「ピアノの88鍵は自分には88個のパーカション!」と言い切るアマロ!
もしも自分に時間とお金があったら、今回の全公演を聴きたい!
ぜひ皆さんもこのトリオが発する音楽を全身で聴いて欲しい!
(ケペル木村・中南米音楽/MPB)
矢川俊介
FRUEがどんなフェスなのか人に聞かれたら「日本で一番コアな音楽リスナーに向けられたフェス」だと応えている。と言っても、閉じられているわけではない。「音楽ジャンル」や「人種」みたいな隔たりから最も自由なフェスだとも言える。さらに言えば、このフェスを楽しむためにマニアックな知識も必要ではない。ブルーノ・ペルナーダス然り、サム・ゲンデル然り、一般的な知名度が高くなくても、現場で初めて聴いたとしても、音楽ファンであれば必ず感じ入るだろう演奏を繰り広げるラインナップにも意思を感じる。そして、そうした音楽的な普遍性を保ちながらも、ほかのどのフェスよりもクールな視点で「今」を感じさせるのだ。
今年のFRUEZINHOのヘッドライナーをRubelだとかNair Mirabratのバンド・セットだとか勝手に予想して遊んでいたのだが、Bala DesejoとAmaro Freitasの名前が出て、軽く予想の上をいかれた。もう彼らを日本で観ることができるなんて。FRUEにしか実現できないラインナップに、いつも心踊らされるし、当日はもちろん身体も踊るだろう。
矢川俊介(『ミュージック・マガジン』編集長)
井出辰之助
FRUEを温泉に例えると、自由奔放な“野湯”。
誰かに管理されているわけでもなく、集まった有志の人々によって自主的に管理されている、自由気ままにいつでも入れる温泉。
上から押し付けたようなルールはなく、人々のモラルに任せてあうんの呼吸で成り立っている。
それでいて泉質は本格派。
強烈な硫黄臭が香り、白濁したお湯が陽射しの加減で時折コバルトブルーやグリーンにも見える。
当然湯舟から見える景色も素晴らしく、人の手が付けられていない大自然とともに、地球の液体に湯あたり寸前までどっぷり浸かる至福の時間。
初来日のブラジル新世代からの刺客2組を引っ提げて開催される今年のfruezinhoは圧倒的にお勧め。
是非立川に足を運んで、現場でしか味わえない音楽体験をご堪能ください。
infusiondesign代表
井出辰之助
Nancy
わたしはFRUEの“魂の震える音楽体験” というコンセプトがだいすきでこの文章は、FRUEとFRUEZINHOへのラブレターになってしまった…..!!!
思い返せば、FRUEに関わる人たちには、わたしが聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚、ただの勘を頼りにちょっとだけ冒険をしていた時代に一緒に震えて、共鳴したことがある人が多い。
そして、その時、一緒に共鳴しながら音楽を聴いて、震えて、踊っていくうちにライブで、音楽そのものや、音楽を奏でる人、音楽を聴く人、場所、たべものやのみもの、鳥とか、石とか。あなたとか。
すべてに対して祝福したい気持ちが芽生えた。
関西出身のわたしは、並行して、とてもDOOPな音楽の沼をはしゃぎまくって、泳いでいたのだが、それは、自分の感じでいた感覚だと、息ができないほどCHAOSで"祝福"という感覚とは違っていた。
わたしは、この当時の体験から、CHAOSもCOSMOS、両方大好きだなあ。と思えるようになっていって
それは、とってもよかったな。と感じる。
(すこし、話がそれました。すみません!
それから随分時も経って、FRUEがうまれて育ち、吸って、吐いて、を繰り返しながら震えて、感動をうみつづけ、いつのまにか吸引力をもって、ハイブリッドに循環しはじめてきていることに度々気づく。
これは、上記のような経験を経てわたしが近年テーマにしていることに近く、同じ経験をしているFRUEに関わるクルーに会えて本当によかったなーと思う。
ありがとう♡
とにかく、FRUEの人はよくわかってるもわかっていないも、振り切ってる。このバランス感覚がおもしろい!!!!!!!!!
ぜひ、FRUEや、FRUEZINHOが気になる人は、参加してみてほしい。
その体感の答えは、時間を超えてその人の宝物になると思う!
追記
FRUEZINHO東京公演の会場でもある立川ステージガーデンは一回だけ行ったことがあり、響きも気もよい
いい会場。流石!
See you-!!!
(文章があまり得意ではなく。すみません!
Nancy
サウンドエンジニア
占い師
イラストレーター
料理研究家アシスタント志望
トラベラー志望など、
肩書きを増やし中
平野敬介
音楽フェスがもはや毎週どこかで開催されている時代に私たちは生きている。何てこった!
数万規模のメガフェスのみならず、中小規模、地方創生、見本市など種類は多岐にわたっているが、探究心の強いフェス経験者は兎角張っているアンテナに伴った感覚の高さを求める傾向にあり、そんな来場者が満足するハードルは益々上がっている。
“ここには無い何か”を求めるプロの来場者たちは手強い。
演目の選択と食のセンス、息抜きのチルスペースでさえも他と比較しながら自己フィット感を査定。
作り手からすると、そこにあえて受けて立つかあるいは先導しようとする気概がないと継続できないはずなのだが、、
そんな気負いを全く感じさせず飄々とクレバーな楽しみを来場者視点で探求し続けているのがFestival de FRUEだと思っている。
Joujouka、Hemeto Pascoal、Tom Ze、強烈な招聘だ。
雰囲気重視のセレクトショップ的ラインナップとは異なって、振り切ったコンテンツでありえないことをやってきちゃったからハードルが年々高くなってしまっているんだろうけれど、僕らも益々期待してしまうので、テンション維持してください!
本当に大変だと察していますが、今年も本当に楽しみ!
平野敬介
Creativeman Productions / Hirano Room
※職業:同業他社 (あ、違うか?)
Alternative Tokyo / LIVE MAGIC / BlueNote Jazz Festival / Summer Sonic 他
坂口恭平
同じ熊本の八代のお坊さんと昔出会っていつも何してる人なのかなーと思ってたけど、なんか知らないけど同じ空気も感じて見てて気持ちいいなと感じてた。
若い頃、友人たちと家で音楽聴きながら、ああだこうだ、言いながら、この音楽とこの音楽は結びつかないように見えて、こんな繋がりがある、なんてことをネットも何もないから自分たちだけで考えだしてるなんて勘違いしながら朝まで音楽を聴いてた。
フルージーニョは行ったことないけど、フルーのイベントは2回ほど聴きに行ってて、なんかあの時の音楽の聴き方を思い出したし、あのノリで家の中じゃなくて、八代の市民ホールみたいなところ借りてやってて、いつもその夢の時間の形作る方法に、生きてるってこういうことだよねとジワーっと感じる。
僕は体調悪い時が多いので今も家の中で音楽聴くことが多いし、参加したいけど行けないってことがあるけど、それでもいつでもあの時間を味わいたいと思うし、無事に行けた時は本当に楽しく過ごせる。個人的にはアーサーラッセルとかShuggie Otisはじめて聴いたときの感動みたいなのがそのまま熊本で形になってて、いつもびっくりする。
1人でいい小説とか画集を、さびれた古本屋でたまたま見つけたときみたいな。あのときに感じた自由な気持ちを思い出す。それが目の前で音楽になって姿を現すんだから、フルーがやっていることは、たくさんの人をこれからも元気に風通しよく奮い立たせていくんだろう。
いつもありがとう!
坂口恭平
三木邦洋
FRUEっぽさって、なんでしょう?よく考えるんですがなかなか言葉にできません。例えば普遍的かつ現代的であること、タイムレスかつオルタナティブであること。そういう反目しそうな価値観をまさにDJのように真摯にミックスし続ける…。そこで重ね合わさった風景を私たちは見せてもらっている、ということは確かに言えるんじゃないでしょうか。
FRUEが「FESTIVAL de FRUE」を初めて開催した時、こんな攻めすぎているイベントは今の日本ではやっていけない、みたいな声も聞きました。けれど我々参加者からしたらむしろ逆で、「こういうイベントこそ欲しかった!」という歓喜の声がそこでは生まれていて、それに応え続けてくれたから今があるわけです。「こういうイベント」というのは、ツボをおさえたラインナップとかそういうことだけではなくて、まだまだ未知の音楽体験があるのだということを教えてくれる存在という意味です。サブスクをサーフィンして食傷ぎみだなんてうそぶく自分に、そんなわけがあるか!音楽舐めんなよ!と喝を入れてくれる存在。
コロナ禍を挟んで6年目、去年のFESTIVAL de FRUEのあの形容しがたい、ジワ〜っとしたアツい盛り上がりが、見事にヨコとタテの価値観が止揚したことを証明していました。そうして2022年にFRUEがどデカい求心力を放つことになる上で、大きな布石になったのが同年に初開催された「FESTIVAL FRUEZINHO」でした。
立川公演の4組すべてが素晴らしかったのですが、ブルーノ・ペルナーダスの帰還は特に印象深かったです。多くの人と同様に、ブルーノ・ペルナーダスを知ったきっかけは2018年のFESTIVAL de FRUEでした。レイヴフリークも含むあの場にいた多く観客がブルーノのパフォーマンスにやられてその後の単独公演に駆けつけたほどに、なんだか事件のようなライブだったんですが、去年のFRUEZINHOではさらに洗練・進化した演奏を聴かせてくれました。サム・ゲンデルも然り、FRUEはそうやって優れたアーティストを紹介し、一度ならず繰り返し呼びよせることで、オーガナイザーとアーティストとファンの間に信頼関係を築いてきたのだと思います。
今年のFRUEZINHOはどんな塩梅かというと、ブラジルからアマーロ・フレイタスとバーラ・デゼージョがラインナップされています。 そう、FRUEの十八番である南米音楽。過去にはヤマンドゥ・コスタにクアルタベ、New zion Trioに帯同して来たシロ・バティスタ、トン・ゼー、エルメート・パスコアール…。どれも一生に一度味わえたことを感謝したくなるライブだった! 久々に南米度が高いFRUEになる今年のFESTIVAL FRUEZINHO。とにかく楽しみです!!
三木邦洋|編集者
中村 真
“FRUE” ···はじめてこの名前を耳にし、その意味を聞いたときに「まあ、音楽体験を通して心躍る瞬間を提供したいんだな···」程度にかるく捉えていた。
感染症対策を余儀なくされる前から、時期を選ばず春夏秋冬、全国各地で野外フェスや音楽イベントが開催され、参加者それぞれに十分にエンターテインメントが提供されつつある現代において、また、音源そのものもレコードからCDを経て、今やデータとして世界中を飛び交っている環境の中、“音楽体験を通して、魂を震わせる”とはなかなかの大風呂敷だとも思っていた。
そこで自分自身にとって、これまでに魂が震えるほどの音楽体験はあったのかを考えてみた。若かりし頃、誰もがそうであるように未経験だらけの自分にとって、あたらしい音楽との出会いは、常に未知なる世界への扉だったように思う。聞きかじったアーティストを、さらに深堀り、その周辺の音楽も聞きあさり、興奮しながら少しでもその世界に近づきたいと必死だった。レコードやCDを集め、録音されたライブ音源はカセットテープで持ち歩き、同じ嗜好性を持つ仲間と出会い、語った。
最後は目当てのアーティストのライブに行くために金をため、時間を作って海外へいく。振り返ってみればそれが、自分にとって音楽を通した体験による心躍る瞬間だった。いまではその経験の上になりたつ自分の好みや世界観が創られてきたのは間違いないと言える。音楽を通し仲間と出会い、その仲間たちとあらたな興味の世界を切り開き楽しんできたことにあらためて気が付かされる。
魂を震わす経験の積み重ねこそが今の僕を創り出してきたのなら、“FRUE”の掲げる「魂の震える音楽体験」とは、ただその瞬間の提供という即時的なものではなく、“FRUE”に関わる全ての人にとって、必ず訪れる未来の自分との対話の創造といえるのではないか。イベントが開催されるその前から心躍らせ、当日、リアルな音楽体験を通して未来と出会い、開催後の余韻に浸りながらも時を過ごす。瞬間的に思えるフェスとしての“FRUE”の魅力は、その音楽体験を通して、魂の震い続ける刻(とき)を刻み続けることに他ならない。
話は変わるが、ぼくは日本の神さまや神社が大好きで勝手に研究を続けてきた。そのきかっけはやはり音楽であり、先述した経験の先に自分が住むこの国の魅力に気が付くことができた。日本の神さまの物語は、何よりまず目には見えなくとも存在するエネルギーの話から始まっている。そのエネルギーが発生し振動したとき、様々な神が生まれてくる。魂の震えはまさに目に見えぬ振動であり、神を生むエネルギーに他ならない。
生きとしいけるものすべてに神が宿る考え方を八百万の神というならば、僕らの命もそのひとつ。その命を作っていくのが、魂の震える瞬間の連続なのだと考えている。そんな視点からも“FRUE”が及ぼす音楽体験が、ただの音楽体験だと思っていたら大間違いだ。
ぜひ“FRUE”に触れてみてください。それは未来で待ってる自分と出会う瞬間になるかもしれません。信じるか信じないかは、あなた次第ですけどねw
神社学主宰
Makoto Kentekist Nakamura
中村 真
柳樂光隆
「今、ロンドンやニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルスなどの多数の音楽シーンで世界的なディアスポラ(による潮流)が起こっている。シャバカ・ハッチングス、クリスチャン・スコット、カマシ・ワシントンなど、彼らの音楽は革新的であるだけでなく、祖先の伝統を取り戻すことでもあるんだ。それは僕のアルバム『Sankofa』のビジョンが“過去”、“現在”、“未来”であることと同じことなんだよ」
こんなことを語るジャズ・ミュージシャンがブラジルから、しかも、アフリカ系ブラジル人の人口比率が高い北東部から出てきたことは衝撃だった。
まずブラジルのジャズ・シーンでは長い間、アフリカ系のプレイヤーが目立たない状況が続いていた。それには人種による貧富の差により、アフリカ系ブラジル人がジャズを学ぶことができる機会を得づらいこともあるだろう。そんな状況もあり、アメリカのジャズ・ミュージシャンがバックグラウンドにあるゴスペルを演奏に表出させているように、UKのジャズ・ミュージシャンが移民でもある自身のルーツの音楽でもあるレゲエやアフロビートを取り入れているように、アフリカ系のプレイヤーが自身のルーツを反映させたジャズを演奏する光景は英米では頻繁に見かけたが、ブラジルで見かけることは(レチエレス・レイチなど一部を除き)少ない現状があった。そんな中、アマーロはアフリカ系ブラジル人の社会に根付く民間信仰カンドンブレから連なる音楽を取り入れ、そのルーツをフレッシュに奏でていた。
また、ブラジルは人口が多く、それに伴い音楽市場もかなり大きいこともあり、ある意味で音楽的に閉じた場所ではあった。それゆえ国外のトレンドに惑わされることなくブラジル独自の音楽が育まれているので、それはそれでメリットもある。ただ、ジャズに関してはそれが必ずしもプラスに働いているとは思えない部分もあった。率直に言って、保守的な側面もあり、ジャズに関しては長い間、強い関心を持てなかった。だからこそ2010年ごろ、アントニオ・ロウレイロやペドロ・マルチンスのような世界とすぐに接続できる感性を持ったミュージシャンが発見されたとき、多くのリスナーが驚いた。アマーロもまたアントニオらと同じように世界の動きにもアンテナを張り、それを確実に身に着けつつ、独自の方法で取り入れている。
アマーロの音楽がオリジナルだったのは、そのアフリカ系のルーツと、世界で起きているジャズの進化の2つを同時に取り入れ、それらを独自の方法で組み合わせたからだ。伝統的なだけでもなく、海外の流れを輸入するだけでもない。その2つを組み合わせて、新たな音楽を生み出したことにこのピアニストのオリジナリティがある。
フレーヴォ、マラカトゥ、バイアォン、シランダ、コーコといったブラジル北東部のリズムをモチーフにしながら、そのリズムを21世紀以降のジャズ・ミュージシャンたち、例えば、アヴィシャイ・コーエンやシャイ・マエストロらを思わせるような変拍子を駆使してみたり、もしくはスティーヴ・コールマンやヴィジェイ・アイヤーのようにポリリズムやクロスリズムを駆使してみたりしながら、現代のジャズの基礎にもなっているリズム面でのチャレンジを当たり前のように行っている。かと思えば、そこにはブラッド・メルドーやロバート・グラスパーからのインスピレーションを思わせるハーモニー面でのチャレンジもある。
にもかかわらず音楽的には必ずしもアメリカ的なジャズ・ピアノ・トリオのフォーマットに寄っているわけではなく、むしろドン・サルヴァドールなどのジャズ・サンバ的なサウンドの影響下にあることを感じさせる部分も少なくない。アマーロの音楽はどこまで行っても、同時代のジャズの影響とブラジルらしさのハイブリッドなのだ。しかも、そのブラジル面では多くの部分をアフリカ系ブラジル人のインスピレーションで成立させている。彼がシャバカ・ハッチングス、クリスチャン・スコット、カマシ・ワシントンと自らを並べるのには揺るがないコンセプトに基づいた音楽性が関係している。
そこに付け加えるとしたら、あらゆる時代のジャズ、更には様々なジャンルの“ピアノ・ミュージック”を自身のインスピレーションとして消化しているところだろうか。現代的な精緻さや高度さの中に突如、フリージャズ的な抽象が放り込まれるのはセシル・テイラーを愛聴するから生まれたものであり、瞑想的な反復を効果的に使いながら、その音を最小限にまで削り落とす美学についてはヤン・ティルセンやエリック・サティからの影響を語っている。少なくともこんな音楽家はアメリカでもイギリスでも、というか世界中のどこにもいない。
アマーロが生み出した独創的なブラジリアン・ジャズは、決してDJユースではないにもかかわらず、UKのクラブシーンで信頼を得ているブラジル音楽系レーベルのファーアウトがほれ込み、これまでに『Rasif』『Sankofa』2作を世界に向けて配給している。すでに少しづつ評価を得始めていて、日本に来る前にはドイツで行われている世界最大のジャズのショーケース“JAZZ AHEAD”にも招かれ、ヨーロッパの関係者の前で演奏を披露し、好評を得ている。おそらくこの先、もっと広い世界がアマーロを待っていると僕は確信している。2023年の今、アマーロ・フレイタスを目撃することができるチャンスを逃さないでほしい。
柳樂光隆(音楽評論家)
AYA
FRUEは、自分に適した生息地のよう、安全と驚き、フェスが拡張して概念になった。
AYA
原 雅明
昨年、立川ステージガーデンで開催されたfruezinhoに出向いた。立川は数えるほどしか降り立ったことがない駅で、そこに他に比べようのない開放的な空間が出来上がっていることに驚きを覚えた。近代的で綺麗なホールなのだが、客席の後ろが文字通り外に向かって思いっ切り「開放」されているのだ。芝生の斜面に寝ぞべっている人も見える中で、演奏は進んだ。フェス未満、コンサート以上の何か、あるいはそうした定義もすり抜けていく何かと言うべきなのか、ともかく他では得難い環境とそこにフィットする音が広がっていた。慌ただしい時間が流れていないからだろう、サム・ゲンデルにインタビューしているときもリラックスしたムードだった。そして、サム・ウィルクスとのライヴも観た。最高だった。
過日、サムとアントニア・シトリノビッチの『Live a Little』をリリースしているカリフォルニアのレーベルPsychic Hotlineから、彼らの発行するZineにfruezinhoのことを書いてほしいと頼まれた。原稿とその時の写真を受け取った彼らにも、他に比べようのない何かだったことは伝わったようだ。
今年も、同じ場所でfruezinhoが開催される。そしてサムもやってくるが、同じことはしない彼は僕も全貌をまったく把握していないトリオで来日する。それに、アマーロ・フレイタスのトリオ、バーラ・デゼージョ、青葉市子という、これまた他ではあり得ないだろう組み合わせだ。ただただ、楽しみで仕方がない。
原 雅明(音楽評論家、選曲家)
有國恵介
FRUEと共に遊ばせて貰って、かれこれ何年になるのだろうか。僕にとってのFRUEは、音楽という人生と共にある喜びを、真に実感させてくれる場所だ。
なぜ遊ぶのだろうか。それは、未だ見た事が無い物を見たいからだし、まだまだ感覚を開きたい、そして、もっともっと感動したい。巷には感動しなきゃって着飾られた場が溢れているが、本当に良いモノは脳に直接響き、驚くほど素直に身体が反応する。そんな瞬間をFRUEはこれまで何度も与えてくれた。
大切な人たちと同じ空間でその感動を分かち合い乾杯することは何よりの喜びだ。それは人生の豊かさであり、未来への希望でもある。
FRUEのやっている事はつまりはそういう事で、月並みな表現だが、誰よりも音楽、ひいては文化という物の可能性を信じているのだと思う。不器用ながらも自分たちの人生を賭けて、自分たちの信じるものを創り、こつこつと育てていこうと試行錯誤する彼ら彼女らを応援せずにはいられない。
10年後には果たしてどうなっているのか、その名の通り世の中を“ふるわす‘’より大きな運動体になっている事を期待している。
有國恵介 フロウプラトウ プロジェクトディレクター
かねだこうじ
知らないアーティストと知らない音楽。
それが初めてのFRUEで抱いた印象だった。
歌詞? サビ? 知っている曲?
これまで常識的に聞いていた音楽とは根本的に違った。
音が楽しい。
それからFRUEのアーティストラインナップが気になるようになった。
何度もイベントに足を運ぶようになっても、相も変わらず知らないアーティストばかりだが、それが今ではうれしい。
今年も新しい音に出合えるんだとね。
音がこんなにも楽しいと感じたのはいつぶりだろうか?
なぜこのアーティストはこんな音で楽曲を作っているのだろうか?
この音でそこまでイケるの!?
知らない世界から来た音楽は、私が知らないだけだったのだ。
話は変わるが、私のライフスタイルは山岳アウトドアだ。
仕事はもちろん、プライベートでも四季を問わずに山に入る。
しかし一般登山道を利用する登山はやらない。
ロープやギアを駆使して森の中をさ迷いながら道なき道を行く、アルパインスタイルという山遊びが好きなのだ。
そんな私が山の頂に辿り着くと、先乗りしている一般登山者が稀有な目で私を見ることがある。
背中のバックパックに結束されている太いロープ、腰にぶら下がるギアの数々、普通の登山とは明らかに異なる装備とスタイルだからだろう。
道を外れて、森の中をさ迷いながら、それでも私は山頂に立っている。
誰でも通れる整備された登山道だけが山頂へ続く道ではない。
山の頂から見る世界は、360度に広がっているのである。
話は戻るが、『GEZAN』というアーティストのパフォーマンスに同じことを感じた。
最初は「下山?」くらいな印象でしかなく、アーティストの風貌も知らなかった。
でも私は、彼らのステージの前に立って動けなくなってしまった。
衝撃だった。
『GEZAN』は間違いなく私の知らない道を使って音楽の頂を目指していたのである。
「おい、GEZAN! そっちのルートもいいじゃねーか」と、踊りながら嬉しくなったのを今でも鮮明に覚えている。
山の頂から見る景色の素晴らしさ、それがFRUEにもあったのだ。
音楽の聴き方をこの年齢になってFRUEに教えてもらっている気がする。
FRUEが終わった後、私の音楽のお気に入りがいつも変わる。
それは、FRUEにしかできない音の世界から発せられる強烈なメッセージなのである。
山岳源流師 かねだこうじ
昨年、立川ステージガーデンで開催されたfruezinhoに出向いた。立川は数えるほどしか降り立ったことがない駅で、そこに他に比べようのない開放的な空間が出来上がっていることに驚きを覚えた。近代的で綺麗なホールなのだが、客席の後ろが文字通り外に向かって思いっ切り「開放」されているのだ。芝生の斜面に寝ぞべっている人も見える中で、演奏は進んだ。フェス未満、コンサート以上の何か、あるいはそうした定義もすり抜けていく何かと言うべきなのか、ともかく他では得難い環境とそこにフィットする音が広がっていた。慌ただしい時間が流れていないからだろう、サム・ゲンデルにインタビューしているときもリラックスしたムードだった。そして、サム・ウィルクスとのライヴも観た。最高だった。
過日、サムとアントニア・シトリノビッチの『Live a Little』をリリースしているカリフォルニアのレーベルPsychic Hotlineから、彼らの発行するZineにfruezinhoのことを書いてほしいと頼まれた。原稿とその時の写真を受け取った彼らにも、他に比べようのない何かだったことは伝わったようだ。
今年も、同じ場所でfruezinhoが開催される。そしてサムもやってくるが、同じことはしない彼は僕も全貌をまったく把握していないトリオで来日する。それに、アマーロ・フレイタスのトリオ、バーラ・デゼージョ、青葉市子という、これまた他ではあり得ないだろう組み合わせだ。ただただ、楽しみで仕方がない。
原 雅明(音楽評論家、選曲家)
FRUEと共に遊ばせて貰って、かれこれ何年になるのだろうか。僕にとってのFRUEは、音楽という人生と共にある喜びを、真に実感させてくれる場所だ。
なぜ遊ぶのだろうか。それは、未だ見た事が無い物を見たいからだし、まだまだ感覚を開きたい、そして、もっともっと感動したい。巷には感動しなきゃって着飾られた場が溢れているが、本当に良いモノは脳に直接響き、驚くほど素直に身体が反応する。そんな瞬間をFRUEはこれまで何度も与えてくれた。
大切な人たちと同じ空間でその感動を分かち合い乾杯することは何よりの喜びだ。それは人生の豊かさであり、未来への希望でもある。
FRUEのやっている事はつまりはそういう事で、月並みな表現だが、誰よりも音楽、ひいては文化という物の可能性を信じているのだと思う。不器用ながらも自分たちの人生を賭けて、自分たちの信じるものを創り、こつこつと育てていこうと試行錯誤する彼ら彼女らを応援せずにはいられない。
10年後には果たしてどうなっているのか、その名の通り世の中を“ふるわす‘’より大きな運動体になっている事を期待している。
有國恵介 フロウプラトウ プロジェクトディレクター
知らないアーティストと知らない音楽。
それが初めてのFRUEで抱いた印象だった。
歌詞? サビ? 知っている曲?
これまで常識的に聞いていた音楽とは根本的に違った。
音が楽しい。
それからFRUEのアーティストラインナップが気になるようになった。
何度もイベントに足を運ぶようになっても、相も変わらず知らないアーティストばかりだが、それが今ではうれしい。
今年も新しい音に出合えるんだとね。
音がこんなにも楽しいと感じたのはいつぶりだろうか?
なぜこのアーティストはこんな音で楽曲を作っているのだろうか?
この音でそこまでイケるの!?
知らない世界から来た音楽は、私が知らないだけだったのだ。
話は変わるが、私のライフスタイルは山岳アウトドアだ。
仕事はもちろん、プライベートでも四季を問わずに山に入る。
しかし一般登山道を利用する登山はやらない。
ロープやギアを駆使して森の中をさ迷いながら道なき道を行く、アルパインスタイルという山遊びが好きなのだ。
そんな私が山の頂に辿り着くと、先乗りしている一般登山者が稀有な目で私を見ることがある。
背中のバックパックに結束されている太いロープ、腰にぶら下がるギアの数々、普通の登山とは明らかに異なる装備とスタイルだからだろう。
道を外れて、森の中をさ迷いながら、それでも私は山頂に立っている。
誰でも通れる整備された登山道だけが山頂へ続く道ではない。
山の頂から見る世界は、360度に広がっているのである。
話は戻るが、『GEZAN』というアーティストのパフォーマンスに同じことを感じた。
最初は「下山?」くらいな印象でしかなく、アーティストの風貌も知らなかった。
でも私は、彼らのステージの前に立って動けなくなってしまった。
衝撃だった。
『GEZAN』は間違いなく私の知らない道を使って音楽の頂を目指していたのである。
「おい、GEZAN! そっちのルートもいいじゃねーか」と、踊りながら嬉しくなったのを今でも鮮明に覚えている。
山の頂から見る景色の素晴らしさ、それがFRUEにもあったのだ。
音楽の聴き方をこの年齢になってFRUEに教えてもらっている気がする。
FRUEが終わった後、私の音楽のお気に入りがいつも変わる。
それは、FRUEにしかできない音の世界から発せられる強烈なメッセージなのである。
山岳源流師 かねだこうじ