Mulatu Astatke

ムラトゥ・アスタトゥケ

【来日メンバー】
Mulatu Astatke (vibraphone, per, and key)
Daniel Keane (cello)
Alexander Hawkins (key&piano)
Richard Baker (per)
James Arben (sax&flute)
Byron Wallen (trumpet)
Matthew Ridley (bass)
Ben Brown (drums)

ーエチオピア特有の謎めいた5音のペンタトニックスケールを活かしたアフロ・ジャズサウンド、2000年代にエチオピア音楽を発掘し世に広めたコンピシリーズ「エチオピーク」の編纂者フランシス・ファルセトは「暗闇の階段で足を踏み外す感覚」とその奇妙な旋律を表現したが、この“大発明”が新世紀に再発見されるまで知る人ぞ知る存在だった。

ムラトゥの原点はイギリスのジャズシーンにある。16歳でイギリスに渡り、ウェールズの学校を卒業後、バンガー大学で航空工学を学ぶ予定から一転、音楽の道に進んだ。ロンドンのトリニティ・カレッジで音楽を学び、サックス奏者のタビー・ヘイズやカリプソ・シンガー、フランク・ホルダーらと交友を広めるなかでヴィブラフォンを始めた。またソーホーのクラブで演奏するアフリカのミュージシャンたちとのネットワークが、その後エチオジャズ誕生のヒントとなったという。

ムラトゥは、その後1960年代にはアメリカに渡り、アフリカ人初の学生としてバークリー音楽大学で学び、この頃からヴィブラフォンやコンガなどの楽器をエチオピアのポピュラー音楽に取り入れ、ジャズやラテン音楽の要素を加えた「エチオ・ジャズ」のジャンルを形作る。活動拠点だったニューヨークにはヒュー・マセケラやフェラ・クティなどアフリカの錚々たるミュージシャンが集っており、先鋭的音楽が生まれる環境のなかでエチオ・ジャズのプロトタイプともいえるエチオピア・クインテットはいくつかの録音を残している。

1960年代後半にエチオピアに帰国したムラトゥは、首都のクラブシーンで「スウィンギング・アディス」に身を投じた。この頃から「エチオ・ジャズ」は、ジェームス・ブラウンなどアメリカのファンク・ミュージックの要素やアフロビートなどを取り入れた完成形となり、エチオピアの音楽黄金期に数多くの録音を残す。しかし1974年にハイレ・セラシエ皇帝を退位させ、独裁政権に取って代わった軍事クーデターによりバンドは解散。長い暗黒期が政権崩壊の1991年まで続いた。

1990年代初頭、程なくしてムラツの音楽はレコードコレクターによって再発見され、国際的に知られるようになった。2000年代以降は、前述の黄金期を収録したコンピレーション「エチオピーク」の第4集「エチオ・ジャズ1969‐1974」の世界的なヒットと、ジム・ジャームッシュ監督の映画『ブロークン・フラワーズ』の音楽の監修、さらにはUKの前衛ファンク・ユニット、ザ・ヘリオセントリックスとのコラボレーションアルバムなどでそのレガシーは決定的となった。

80歳になる現在も精力的に活動を続けるムラトゥは、エチオピアの伝統音楽とジャズを独自の方法で融合させ、新しいジャンルを切り開いた革新的なミュージシャンとして高く評価されている。

text by Hideki Hayasaka