



テリー・ライリーは、1935年6月24日、カリフォルニア生まれの音楽家・作曲家。本フェスティバルでの演奏から約10日後、91歳の誕生日を迎える。
1964年発表の代表作『In C』が大きなムーブメントを巻き起こしたことで、以来、現代音楽の文脈において「ミニマリズムの父」として世界的に語られてきた。しかし、彼の本質はむしろサイケデリック、即興、そして自由な楽曲解釈にある。その幅広い音楽性は決して単なる“ミニマル・ミュージックの作曲家”に収まるものではないことは、その膨大な作品群を見れば明らかだろう。『A Rainbow in Curved Air』『Shri Camel』『You’re No Good』『Music for the Gift』などライリーの一連の作品は、クラシック、ジャズ、ロック、エレクトロニック・ミュージック、そして即興音楽の各シーンに大きな衝撃を与え続けてきた。The Whoの代表曲『Baba O’Riley』のタイトルにある“Riley”と、同曲の象徴的なキーボード・フレーズが、彼へのオマージュであることは広く知られている。盟友クロノス・クァルテットとの共同制作も名高く、大作『Sun Rings』はグラミー賞(録音部門)を受賞した。また、1960年代に日の入りから日の出まで単独で即興演奏を行った「オールナイト・コンサート」は、数十年後に世界各地で広まるレイヴ文化の先駆けともいえる。さらに、テープ・ループ、テープ・ディレイ、タイム・ラグ・アキュムレーターを用いた初期の実験は、今日のテクノやヒップホップに見られるループ/サンプリングの発想の源流の一つとなった。
彼の音楽を支える大きな柱のひとつがラーガである。1970年代、テリーは親友ラ・モンテ・ヤングとともに、北インド古典声楽の巨匠パンディット・プラン・ナートの正式な弟子となった。1970年から、プラン・ナートが亡くなる1996年まで、世界各地で数多くの公演に同行している。今回のFruezinhoでの演奏は、同日が110回目の誕生日にあたる師プラン・ナートへ捧げられる。
1977年のユネスコ村以降来日公演も数多く、2017年にはジェフ・ミルズ、フアナ・モリーナと競演。それぞれと即興セッションも行った。
2020年2月、「さどの島銀河芸術祭」からの依頼により、翌年の同芸術祭参加(楽曲・モニュメント制作および演奏)の着想を得るため来日。佐渡島に短期滞在するも、折からのコロナ禍により離日が困難となった。その後、山梨県北杜市に約半年滞在したのち、85歳にして日本移住を決意。自然豊かな同市に居を構え、現在も在住。「アメリカに帰るつもりはない」と言う。
2022年春より、弟子のSARAとともにラーガ教室「KIRANAEAST」を主宰。鎌倉、京都、小淵沢で教室を開き、現在も極少数ではあるが個人指導を行っている(グループでのレッスンは昨年より弟子のSARAに引き継がれている)。
2024年夏には、『In C』誕生60周年を記念し、世界文化遺産・清水寺本堂舞台にて奉納演奏を行った。本人参加による同曲演奏は世界各地から長年オファーされながら、2009年カーネギーホール公演以来固辞し続けており、実に15年ぶりの出来事となった。本人は「同曲への演奏参加はこれを最後とする」と語っている。当日の模様は、その後発売されたライブ盤で聴くことができる。
2025年6月には、90歳の卒寿を祝して、50年来の盟友クロノス・クァルテットが無償で来日。誕生日翌日に神奈川県立音楽堂で『SunRings』日本初演が行われ、さらに東京藝術大学奏楽堂では、両者による日本初共演となる記念公演が開催された。
久石譲は若き日に『A Rainbow in Curved Air』を聴き、「衝撃で数日寝込み、ミニマリストになることを決意した」と公言している。2023年には、氏のライフワークである現代音楽シリーズ「Music Future」第10回記念公演のゲストとしてライリーを招聘した。横尾忠則も、1967年に作曲家の一柳慧と共にニューヨークを訪れて以来の熱烈な支持者であり、東京都現代美術館での大回顧展最終日に邂逅して以降、ライリーは氏のアトリエをたびたび訪問。そして横尾氏からの強い要望により、神戸、豊島、東京で「共演」も実現している。さらに、昨年来日したRadioheadのフロントマン、トム・ヨークは、日本を含む各国ツアーにおいて、毎晩ステージ登場時にライリーの音楽を流していた。そのほかにも、Cornelius、三宅純、ジム・ジャームッシュ、ピート・タウンゼンド、デヴィッド・バーン、ジェフ・ミルズ、ローリー・アンダーソンなど、ライリーを熱烈に支持する表現者は数多い。
ライリーの創作意欲は今もなお衰えることはなく、日々ラーガを歌い、楽器の練習をし、音楽を奏で、新しい曲を書き、後進を指導し続けている。